ワンシャッターに全集中。植田正治師事・写真家瀬尾浩司インタビュー

数多くの有名人の撮影を手がけ、2017年~日本独自の伝統である「家元」をとらえたプロジェクトをスタートして話題となった写真家 瀬尾浩司。

日本を代表する写真家「植田正治」の弟子であり、「旅する写真家」の異名をもつ海外からも評価の高い写真家である。また、写真家としての活動に留まらず、企業やブランドの制作物のプロデュースも手掛けている。「旅するカメラバッグ」もその1つだ。

今回は東京代官山のとあるホテルにて、これまでの写真家人生や「旅する写真家」と呼ばれるようになったきっかけ、「旅するカメラバッグ」をプロデュースした理由などについてお伺いしました。

 

Profile

瀬尾浩司さん(せおひろし)

1968年、広島生まれ。1994年から写真家、植田正治氏に師事。
2000年からフリーの写真家として東京をベースに活動しながら、音楽CDや、写真集、ファッション、雑誌、広告などの様々な分野で作品を発表し続けている。世界を旅しながら捉えた写真は、その独特な世界観を感じることが出来ると海外でも評判に。東京都写真美術館、植田正治写真美術館、新津美術館、高松市美術館、などでワークショップも開催。また、写真家としての活動に留まらず、企業やブランドの制作物のプロデュースも手掛けている。
2017年~日本独自の伝統である「家元」をとらえたプロジェクトをスタート。

 

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将来の自分の生き方を考えて、写真家を志す

 


 

ーそれでは写真との出会いについて教えてください。

瀬尾:最初に写真を始めたのは小学生ぐらいの時に写ルンですとか、父が使ってたスナップカメラを使って家族を撮って遊んだりしてました。

本格的に写真を学び始めたのは京都精華大学デザイン学部に入学しまして、大学2年生の時に選択授業で写真の授業を選び、そこで初めて写真について学びましたね。

その当時、「Nikon FM2」というカメラが出ていて、そのカメラが学生の登竜門的なマニュアルカメラであると、先生にオススメされたので初めて自分で購入しました。確か35-70のズーム付だった気がします。

 

ーありがとうございます。僕もNikon使いなので嬉しいです。そこから本格的に写真家を目指したのですか?

瀬尾:実は大学1~2年の頃は、将来の仕事について悩んでおりました。大学2年生の頃からアルバイトで業界のリアルな現場を知りたくて、デザイン会社とかマネキン会社とかで働きながら自分の将来を模索しておりました。

大学3年生の頃に、写真の道に進むことに決めました。元々、僕は絵を描くのも好きだったんですけど「これで食べていくのは苦しいな」と思って、でも自分で自由に何かを表現していく事と生活して食べていく事を両立できるにはどんな職種があるんだろうと考えた結果「写真ならいけるかもしれない!」と思ったんです。今思うと、安易だけどね。

 

ーなるほどですね。瀬尾さんは具体的に写真家になる為にどんな事をされましたか?

瀬尾:まずは自分の中で好きな写真家さんを探しましたね。今、現在活躍してる方に会ってみようと、大学の教授の部屋でADC名鑑(NYを拠点としている広告美術団体が毎年発行しているまとめ本。世界中から数万点の広告作品やグラフィックデザイン作品等を公募、審査、ADC賞受賞作品が掲載されている。)に掲載されていた久留幸子くるさちこ)さんのお写真に感銘を受けました。

それで、久留幸子さんにアポ取りをして、東京まで「現場で働かせて下さい!」と頼みに行きました。当時はバブルの時代で猫の手も借りたいっていう時代だったのかもしれません。そんな時代の後押しもあり、その日から現場に入れてもらえる事になり京都と東京の往復生活がはじまりました。

現場では、学校では教わらない現場ならではの仕事に対する厳しさやライティング、スタジオの技術などを教えていただきました。プロと大学生では仕事に対するレベルが全く違いました。まずは全くわかってなかったライティングの事をもっと学ばないといけないと思ったので、大学を卒業してから六本木スタジオで1年間働き、久留幸子さんの元で再び2年間働かせていただきました。

久留幸子さんの事務所を退社した後は、まだカメラ1本では食べていけない状態だったので、酒屋でバイトしていました。ブックも作りたいけど、プリントでお金かかるしどうしようかな?なんて考えてから3ヶ月が経ちました。その頃、偶然植田正治さんと出会うんです。

 

最初の1枚目が1番いい

 

ー世界で最も注目された日本人写真家である植田正治 (うえだしょうじ)さんに師事されたそうですが、どんな感じの出会いだったのですか?

瀬尾:先程の続きなんですが、酒屋でバイトしていた頃に、僕の大学の同級生が植田正治さんの息子さん植田充(うえだみつる)さんの所でデザイナーとして偶然働いててね。

植田充さんは、ファッション系を中心に広告や雑誌でアートディレクターをされている方で、植田正治先生が東京ステーションギャラリーで大規模な写真展を開催する時に展示会のプロデュースを担当されていました。

「オープニングパーティーに来たら?」とそのデザイナーの友達に誘われて、参加させていただきました。華々しいパーティーだったので、大人しく写真を見て先生達に少しご挨拶をしてパーティーが終わると同時に帰りました。その後、本屋さんで暇をつぶしてバスに乗っていたら偶然植田正治さんがバスに乗ってきたんですよ。

 

ーええ〜! それは凄い偶然ですね! 運命ですね!

瀬尾:ビックリしましたね。パーティでは話せなかったし、色々作品についてお聞きしたかったけど友人の手前で我慢していたので、これはチャンスだと思って、植田先生の隣の席が偶然空いていたので、席を移動して、お話に行きました。

正確に何を話したかは覚えていませんが、結論としては、「来年か再来年に鳥取県に植田正治写真美術館をオープンさせようと思ってる。その為に東京に事務所を作ろうと思っているのだが人手が足りない!君はどうだ?」という話になりました。その3日後位に改めてまたお話をして、「植田正治写真事務所」を一緒に立ち上げる事になって事務所に入る事になりました。そこから、6~7年ぐらい勤めて、植田正治先生がお亡くなりになる前の年にフリーランスになりました。

 

ー事務所に入ってからはどんな事をされましたか? そして、どんな事を植田正治さんから学ばれましたか?

瀬尾:1番最初は、植田正治写真事務所は植田正治写真美術館の準備室みたいなものだったんですよ。だから、部屋一面埋め尽くされた大量のネガやベタの整理から始まりましたね。植田先生の記憶頼みに整理していたので、短時間で終わる時もあったり、全然整理が進まない日もありましたね。

それがメインの仕事で、月に3回ぐらい雑誌やファッション系の撮影が入ったりしていました。撮影現場の事は、久留幸子さんの所や六本木スタジオの経験があったのでキッチリこなせました。

あとは、植田正治先生は当時80歳だったので僕が打ち合わせや交渉、事務的な作業全てやっておりました。

学んだことは、構図とか露出とかは撮影現場で学んだり、ネガとかベタを整理する事で頭に刷り込まれて行ったかもしれないですね。あと現場に入ると植田正治さんはあまりシャッターを切らない。戦後、フィルムが高級品だった時代を経験されていたので、1つの被写体に対して何枚もシャッターは切られなかったです。

例えば、お仕事で一緒に植田正治さんと撮影に行っても、1枚撮って『瀬尾撮れたぞ』なんて日もあった。撮影現場には沢山のスタッフが来ているので「もうちょっと撮ってください」とお願いして複数枚撮ってもらんですけども、実は集中して撮る最初の1枚目が1番良いんですよね。

 

 

ー植田正治さんの近くで過ごして何か感じたものはありますか?

瀬尾:ずっと写真なんだなって思いましたね。入院中も日記みたいな感じで写真を撮られていました。写真家として生きるという事、一人の写真家の生きざまを見せてもらって、肉体は滅びても写真は滅びないことを学ばせてもらいました。

植田先生のお写真は、カラッとしいて古くならない写真なんですよね。歳はとっていくけど、写真はずっと不滅だと思います。先生はお亡くなりになられたけど、作品は永遠に輝き続ける。永遠が生まれるタイミングにずっとそばに居させてもらいました。

 

ーフリーの写真家にどういう感じでなっていきましたか?

瀬尾:最初に植田充さんに事務所を辞めたいと言ったら駄目だ、あと2年後な!と言われて仕事をしていたんですけども、もう5~6年同じ仕事をしてたので人が1日かかる仕事でも3時間でできてました。その空いた時間を使って、自分で仕事を貰ってやったら?と植田充さんに言われ、空いた時間を使って自分の仕事を少しずつ植田正治事務所で受けるようになっていきました。

 

ーフリーの写真家になって大変な事とかありましたか?

瀬尾:植田さんの後押しもありフリーになって潤風なスタートを切ってお仕事をしていたのですが、実は最初の3ヶ月は入金がなくて大変でしたね。入金のタイミングなど数ヶ月先のお金のやりくりで色々と苦労しました。写真家はライト代やスタジオ代など色々先に立て替えることが多く、仕事をすればするほどお金がなくなっていきました。1年ぐらいで、やっとお金が回るようになった気がします。

 

自分の写真にマンネリ化したら新しいカメラを買おう

 

 

ー瀬尾さんは、多くの有名人を撮影していますが特に印象に残っている撮影はありますか?

瀬尾:自分で仕事を受け出した最初の頃に福山雅治さんを撮影させていただいたので印象に残っています。福山雅治さんには、植田先生に特別に好意を持っていただいていて、鳥取にも何度も足を運んでもらったり、植田先生亡き後も一緒に写真展を植田正治写真美術館で開催したりとか、お酒を呑んで語り合ったりとか、公私ともに教わることが多かったです。

当時僕は業界をわかってないことも沢山あって、迷惑かけたことも沢山あったと思うのですが、ただがむしゃらな僕は福山雅治さんや周りのスタッフの方々に育ててもらったんだな…って感謝してます。当時沢山のCDや雑誌や広告。また全国ツアーにも同行させてもらい、今という瞬間を撮る大切さを学んだのもこの時期です。

 

ー現場での撮影を通して、学んだ事はありますか?

瀬尾:イタリアで1ヶ月間福山雅治さんを撮影した時に、雑誌の編集長さん達と一緒に行ったんですけど、こんな構図で、こんな光で最高な彼の写真を撮りたいと、イメージしながら旅の序盤は撮影してました。けれど実際その通りの光や構図なんて出会えないし、なんだかしっくりきていなかった。

ある日旅の途中、ふっと自分から解放される瞬間があって、ただ彼を見てシャッターを切った時、「ああこの感じなんだ」と気持ちも楽になって、現場を受け止めていく事と、素敵な写真を撮りたい気持ちが1つになって旅を続けられた。その後日本に戻ってもあの日「今を撮る大切さ」を学んだのは、とてもプラスになった旅だった。

 

ー瀬尾さんは世界中を旅しさまざまな景色を撮影していますよね。写真を見ると常にカメラを持っているような印象を受けますが、いつもカメラを持ち歩いているんですか?
瀬尾:いつもカメラはなるべく持ち歩くようにしております。今日はライカを持って来てますね。
なぜか持ってない日に限って、すごくいい光やフォトジェニックな人にあったりするのが悔しくて。カメラは、何でも使います。キャノン、ニコン、富士フィルム、ハッセル…。どこかのメーカーと契約してるわけではないので色んなカメラを使ってますね。

 

ーちなみに色々なカメラを使い分ける理由はありますか?

瀬尾:1番の理由は写真の目的によってカメラを選んでいますね。例えばフィルム時代はCDジャケットの撮影でしたらスクエアーの画角のハッセルブラットのカメラを使ったり。あとは旅の時はあまり重くないカメラとか、レストランで撮影するならシャッター音が静かなカメラとかね。そういった理由でカメラを使い分けていますね。

 

ー瀬尾浩司さんの写真に影響を与えているものはありますか?

瀬尾:カメラを変える事で写真に影響か…たぶん与えてるかもね。カメラマンってスランプに陥ったりするんですよ。気が乗らないとか面倒臭くなったりするんですよね。

「気が乗らなくなったら新しいカメラを買おう」

そんな時カメラを変えると新しい写真が撮れる気がするんですよね。

気持ちの問題もあるかもしれませんが新しいカメラを購入して外に出ると、新しい自分を手に入れた気分になったりする。それが意外とスランプ脱出に繋がるんですよね。

単純だね(笑)

 

ー僕も最近、コンデジ(GR3)を買って新しい自分を見つけました。

瀬尾:そうなんだね。いいね新しい自分。

 

ー僕ライカも買います!

 

旅する前に旅を仕事にした

 

 

ー「旅する写真家」と言われたきっけけとかありますか?

瀬尾:それは、海外で撮影するきっかけが多かったからかな。仕事で色んな国を行ったり来たり、気が付いたらマイレージでビジネスクラス世界一周できるぐらいポイントが貯まっててね。

来週でポイントが全部無くなると航空会社の方から連絡がありまして、タダで世界一周できるならと、五大陸を飛び回ったんですよ。

出発前に色んなメーカーさんとお話をして、こうゆう旅に出ると伝えたら、それでしたらと新作カメラのプロモーションをお願いされました。

その流れで色んな広告に瀬尾が旅して撮った写真が使われ初めて、「旅する写真家」なんて言葉が出てきたんです。

 

ー旅をしながら写真のお仕事ができるなんて最高ですよね。

瀬尾:そうだね、まぁでもフリーランスで何日も仕事を休むのは大変で、出発前に最低限仕事にしたっていうことかな。旅自体も1つか2つ目的があったりする方が楽しかったりするしね。いいバランスで旅が出来たと思う。新しいカメラを使う以外はなんの縛りも目的もなく旅を続けた、朝起きてカメラを持って街を歩き回って食事をして寝る…みたいな。まぁ基本写真を撮るのが好きなんだろうね。

 

ー撮影するのが好きって良いですよね。

瀬尾:今でも撮影の度にワクワクしているよ。撮影現場は大変なこともありますが、それも引っくるめて楽しいもんね。たまに、現像の時に何でこんなに撮ったんだろう…(汗)と思ってしまう時もあるけどねw

 

【本当は1枚しか使わないけどテンション上がって数千枚撮ってしまうことも】

 

カメラマンってカメラと同じぐらいカメラバックも探す

 

 

ー瀬尾さんはカメラバッグをプロデュースをしているとの事なのですが、「旅するカメラバッグ」はどういう経緯で作られたのですか?

瀬尾:ぶっちゃけカメラマンってカメラも探すけど、同じぐらいカメラバッグって探しますよね?

 

ー僕もカメラバックは持っていますが新しいカメラバッグを探しております!

瀬尾:僕もずっと学生時代からカメラバッグを探していまして、良いカメラバッグを欲しいなってずっと思っていました。

大阪の老舗鞄メーカーイケティさんの「FUJITKA」というブランドで広告撮影をさせていただいた時に、撮影終わりに「カメラバッグ欲しいんですよね」と言ったらFUJITAKAさんが「じゃ、作りましょう!」という感じで「旅するカメラバッグ」の商品化が決まりました。

 

ーそんな感じで決まったんですね。

瀬尾:僕もビックリしました。製品開発の段階から細く関わらせていただいて、日本の(FUJITAKAの)職人の技術の高さには驚きました。革製品だからナイロンと比べたらお値段は高いですが、革製品なので長く使えて経年変化も楽しめる。国産シュリンクレザーの中でも最高峰と称されるFUJITAKAのオリジナルレザーが使用されているので高級感はありますね。サイズやカラーバリエーションもあるので、自分のお気に入りを見つけていただけたらと思います。

 

ー確かに!柔らかくて弾力のある手触りで高級感が漂ってきます。現状の3サイズのお値段っておいくらなんですか?

瀬尾:「旅するショルダーバッグ」の状の3サイズはこちらの大きさでお値段は以下の通りですね。

  • W 30cm x H 20cm x D 10cm  (下の写真奥のカメラバッグ 右側が88,000円[税込] 左側が55,000円[税込])
  • W 26cm x H 18cm x D 10cm  (下の写真手前のカメラバッグ 50,600円[税込])

 

【旅するショルダーバッグは3種類4色(Black、Navy、Taupe、White)展開しております】

 

【インナーケースはフラップ付きのため、そのままカメラの保管にも使えるとのこと】

 

【レンズを付けた一眼レフカメラ1台と交換レンズ1、2本を収納できる広さです】

 

【全型に裏面のベルトでキャリバーに固定することができる機能付き】

 

 

ーその後「旅するウェストバッグ」が生まれたんですね。

瀬尾:旅するのに良いウエストバッグを探してて、カメラ片手に両手が空いてる方が便利じゃない?2つ折りの財布と携帯に名刺などを入れれるポケットがついた縦型と。もう一回り大きい、長財布も入る横型。

 

ー確かに両手が空いていると最高ですよね。

瀬尾:旅行というアクティブなシーンに着用しても疲れにくく体に沿うような美しい曲線で構築されたカーブシルエット。傷つきにくいカメラバックと同じシボ系の柔らかくて強いレザーで作ってもらいました。旅行にも日常にもマルチなシーンにマッチする、モダンでスポーティなデザイン。こちらも色展開があるので、自分のお気に入りを探してみてください。

 

ー確かに!柔らかくて弾力のある手触りで高級感が漂ってきます。現状の2サイズのお値段っておいくらなんですか?

瀬尾:「旅するウェストバッグ」の現状の2サイズのお値段は以下の通りですね。

 

【ウエストバッグは2サイズ5色(Black、Navy、White、Taupe、Yellow)展開されています。 】

 

【HIROSHI SEO ウエストバッグ 28,600円[税込] スタイリッシュなデザイン。】

 

外ポケット(幅13 x 高10.5 x マチ1.5 cm)
・上記ポケット内小物ポケット(幅8.5 x 高8.5 cm)

 

【HIROSHI SEO ウエストバッグ  31,900円[税込]小物ポケットにスマホがスポッと入る。】

 

・外ポケット(幅17.5 x 高9.5 x マチ1.5 cm)
・上記ポケット内小物ポケット(幅14 x 高6 cm)

 

 

 

もっと色んな人達が写真で食べて行けるように

 

 

ーありがとうございます。最後の瀬尾さんの今後のビジョンについて教えてください。

瀬尾:1番最初の話に戻るのですが大学時代に思っていた写真で生活していくことと同時に作品を作っていくこともやっていきたいですし、若い人達の育成だったり、もっと色んな人達が写真を楽しめるシステムを作っていきたいなっと思っております。例えば、関西写真部SHAREのメディアを通してみんなで写真展を企画するとかさ。

 

ーその時はぜひ参加せていただきます!

瀬尾:他にも今年の夏になると思うのですが、久しぶりに植田正治写真美術館(鳥取県)でワークショップを開催しようと思っております。(2020年夏頃予定。)

勿論、ますます仕事も頑張っていくし、仕事以外の活動も頑張っていきたいなと思っておりますのでお力添え下さい!

 

ー本日はありがとうございました。

 

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