写真家の小林正明さんが写真集「土と生きる〜川辺川ダム水没予定地に暮らし続けた夫婦〜」を発売しました。
15年間にわたり、川辺川ダム建設計画でダムに沈むとされていた熊本県五木村頭地に最後まで住み続けた尾方夫婦の姿を撮り続けた小林さん。写真集にはテレビや新聞では報じられなかった五木村での出来事や、尾方夫婦の暮らしが写真と文章で伝えられています。
今回はキャノンギャラリー大阪にて写真展を開催中(9月19〜25日)の小林さんにインタビューさせていただきました。
横浜市生まれ。日本写真家協会正会員。元朝日新聞写真記者熊本県五木村、八代市の五家荘に通い、人々の暮らし、風習などの撮影を続ける。ほかに浪曲師や曲師、歌舞伎役者などの撮影にも取り組んでいる。
五木村の取材をきっかけに出会った尾方夫婦
ー「土と生きる〜川辺川ダム水没予定地に暮らし続けた夫婦〜」について教えてください。
小林:1966年に発表された川辺川ダム建設計画により水没予定地に暮らす人々が次々に移転している中で、新聞社の仕事として五木村に訪れたのがきっかけで尾方夫婦と出会いました。当時尾方夫婦だけが移転しないということが分かっていて、多くのメディアが報道していたので尾方夫婦は有名でした。
移転の影響で集落がなくなりどんどんコミュニティが崩壊していってしまったので、そこで行われていた最後の記録を撮ると共に、ダムの水没予定地に最後まで暮らして行くであろう尾方夫婦の写真を撮っていました。
ートークショーで「カメラを意識させないように撮っている」とおっしゃっていましたが、具体的にどのように意識させないようにしていたんですか?
小林:普通にお茶を飲んだり、世間話をしたりして意識しない状況を作っていきました。話ながら時々シャッターを切って、少しずつカメラに慣れていってもらうような感じですね。
ーカメラを意識していないことが分かりつつ、どこか小林さんと尾方さんの絶妙な距離感が写真を見ていて温かさを感じます。
小林:継続的に通っていたのでご飯を食べさせてもらったり、泊まらせていただいたりしていました。なので時々写真の中に僕がそこにいるというのが分かるものもあります。展示期間中も来場所の方に「この目玉焼き、小林さんのですよね?」と聞かれることもありました。(笑)
取材中はたわいもない世間話だったり、村の昔話を聞かせてもらったりしていましたね。尾方さんが何歳の頃にどんなことをしていたとか、いろいろな話をしました。
ー都会にはない村ならではの話も写真集を通じて知れるところが好きです。
小林:皆顔見知りですからね。
尾方さんの取材は15年間になりますが、五木村に通い始めてから17年になるので、今では村に行くと僕がどこにいたか伝わっています。
尾方夫婦の暮らしを最後まで撮り続けたかった
ー15年間に渡り五木村を取材されていて尾方夫婦と過ごす時間も長かったかと思いますが、印象に残っていることはありますか?
小林:尾方さんは何があっても昔から続けていることを淡々と繰り返して生活していました。驚いたのは、コンクリートをはがしてどんどん畑にしていくという、人力でしていたのは凄いなと思いました。
ー最初は記者・カメラマンの仕事として五木村を取材していましたが、写真家として五木村を取材し写真に残そうと思ったのはどうしてですか。
小林:切り分けは会社の費用で行くか、自分でお金を出して行くかだと思うんですけど、尾方さんをずっと撮影し続けようと決意したのは、尾方さんが最後まで水没予定地に残るということが分かっていたからなんですよね。
だから、最後まで住み続けて、最後に去っていく姿を撮りたいと思ったんです。それは仕事では撮り続けられないので、個人で五木村に通って撮影していました。
ダム建設計画は2009年に中止になったんですけど、水没予定地に住み続ける尾方さんの姿を残そうと撮り続けました。
‟作られた像と実像は違うんだよ”と伝えたかった
ー小林さんは15年間どんな思いで撮り続けていましたか。
小林:「そのままの姿を伝えたい」という思いですかね。尾方さんはダム建設計画の反対派としてメディアに取り上げられることが多かったんですけど、そうではないんですよね。
尾方さんは昔からの生活を続けられれば移転もやむなしと思っていたので、作られた像と実像は違うんだよってことを伝えたかったんです。
ーメディアを通して知る情報と実際は違うということですね。小林さんから見た尾方夫婦の姿は?
小林:寂しそうではありました。でも、強いなと思えるところもありましたね。もう一方では、移転してしまった人と比べると自由に農業を楽しんでいる姿も見えて複雑な気持ちでした。奥さんは友達が移転してしまい中々訪ねてくれなくなったので寂しくて移転したかったみたいです。
ーこれまで五木村の写真集を3冊出版されていますが、写真集を制作するときのこだわりはありますか?
小林:実像をそのまま伝えられるように制作したいなと思いました。ちゃんと‟尾方茂の生き方”が残せればと。
やっぱり、固有名詞があって、この人がどういう生き方をしていたとか、国の政策によってこんな生活をせざるおえなかったというのを残さなければ、「そういう人がいたよ」くらいだと結局いたのかいなかったのか曖昧になってしまうんですよね。だから、誰かが残さないといけないと思って。
世の中のアーカイブに残さなければならない出来事だと感じたので展示だけでなく写真集も制作しています。
ー展示も写真集もモノクロにしたのはなぜですか?
小林:カラーだと色が邪魔するからです。色があると、どううしてもその色に引っ張られて見てしまいますが、モノクロだと想像してもらえますから。それと、写っていることは何かというのを見てもらいやすくなるからです。
小林正明がフォトジャーナリストの道を選んだ訳
ー長年カメラを仕事にされている小林さんですが、カメラとの出会いはいつ頃だったのですか?
小林:小学校の頃に小さいカメラがあってそれを使っていました。僕は横浜生まれなんですけど、当時はSLが走っていたので、SLを撮りに行っていました。
ー朝日新聞社では写真部(現在は映像報道部)に所属していたみたいですが、それは小さい頃からカメラをしていた影響があったとか?
小林:最初は全然カメラを仕事にしようなんて思ってなかったです。SLが走らなくなってからカメラを持つことすら減っていたんですけど、高校で写真部に入って少し撮っていましたね。
大学はフィルムなどの感光材料の研究をしていて。何かしらカメラと繋がることはしていましたが、写真家になるなんて夢にも思ってなかったです。
ーそうなんですね。では、小林さんが写真家の道に進む何か大きな影響があったんですね。
小林:大学院の時にジャーナリストの本多勝一さんの本を読んで、世の中の不条理なものを伝えるような仕事をしている人だったので、それを読んだ時に「こういう現実を皆に知らせなきゃダメだな」と思って、そういう仕事に携わりたいなと思いました。
僕にできることは何か考えたときに、元々カメラが得意だったのでフォトジャーナリストになるために朝日新聞社に入りました。
世の中の出来事を少しでも多くの人に伝えていきたい
ー小林さんがドキュメンタリーを撮り続ける理由を教えてください。
小林:写真を通して‟人の生き様”を伝えていきたいからです。テレビや新聞ってニュースバリューがないと扱えないじゃないですか。まだ続いている問題もメディアでは報道されなくなってしまうので、僕が撮り続けないといけないなと思っています。
ー今後のビジョンはありますか?
小林:人があまり目を向けない、でもこんなことが起きているよっていうことを少しでも多くの方に伝えられるような活動をしていきたいです。
ーありがとうございました。
川辺川ダム建設計画、五木村での出来事、過去のことであったとしても小林さんの写真作品を見ると同じ日本人として知っておかなければならないことなんだと心を動かされます。写真集では写真とともに文章も添えられているので、五木村と尾方夫婦について深く知ることができます。
小林正明さんの写真集「土と生きる〜川辺川ダム水没予定地に暮らし続けた夫婦〜」は小林さんのオフィシャルサイトにて販売中です。キャノンギャラリー大阪では9月25日まで展示を行っていますので、ぜひ足を運んでください。
展示タイトル | 小林 正明 写真展:土と生きる ~川辺川ダム水没予定地に暮らし続けた夫婦~ |
開催期間 | 2019年9月19日(木)~9月25日(水) |
開催時間 | 10時~18時(最終日15時まで) |
アクセス | 〒530-8260 大阪府大阪市北区中之島3丁目2−4 中之島フェスティバルタワー・ウエスト1F |
写真展情報ページ | https://cweb.canon.jp/gallery/archive/kobayashi-soil/index.html |