桑島智輝 インタビュー『写真家としての表現は無意識から生まれる』

 

岡山県出身、現在は東京拠点に商業カメラマン・写真家として活動されている桑島智輝さんにインタビュー。

商業カメラマンとしてこれまでに多くの芸能人の撮影、雑誌や広告などを手掛けている桑島さん。その一方で、俳優で妻の安達祐実さんとの日常を撮り続けた写真集「我我」が話題になっています。

そんな桑島さんが商業カメラマンなるまでどのような学生時代をおくってきたのか、そして商業カメラマンとはどのような仕事なのか、詳しくお話ししていただきました。

 

桑島 智輝(くわじま ともき)

1978年岡山県岡山市生まれ。写真家。
2002年に武蔵野美術大学卒業後、鎌田拳太郎氏に師事。
2004年に独立後、雑誌やタレント写真集、広告で活躍している。
2013年に、約2年半の安達祐実を収めた写真集「私生活」(集英社)を発表。
2019年に写真集「我我」(青幻舎)、2020年に写真集「我旅我行」(青幻舎)を発表。

Instagram @qwajima
Website https://qwajima.com/

90年代の写真の影響でフィルムカメラをはじめる

桑島智輝さん

ーはじめに、カメラとの出会いについて教えてください。

桑島:高校2年生の時、90年代の写真家たちの“身近で日常的なものを被写体とした作品”に魅力を感じました。軽やかな生活を写した作品が華やかでいいなと思って、自分もおしゃれな写真を撮りたくてはじめたのがきっかけですね。

 

ー高校時代、桑島さんの周りには写真をしている人はいましたか?

桑島:ふつうの共学の進学校だったから、勉強や運動をしている人が多くて、周りに写真をしている人はあまりいなかったですね。

 

ーカメラと出会ってから、写真にのめり込んだという感じですか。

桑島:実家が水道屋だったから、工事現場を写すためにポラロイドカメラを使っていたんですよ。ポラロイドカメラは撮ってすぐに写真を確認できますが、フィルムカメラは現像に時間がかかるので、そこが面白くてだんだんハマっていきました。

 

ーなるほど!では、当時はまだカメラマンになりたいというよりは、趣味でやっていたんですね。他に夢があったとか?

桑島:高三の時に俳優の竹中直人さんに憧れて、俳優をやりたいなって思っていました。竹中直人さんの出身大学は多摩美術大学だったんですが、エッセイの中で武蔵野美術大学が出てきて、デッサンがないデザイン学科があったので入りました。

デザイン科だったんですけど、演劇サークルに入ってて。でも、いざやってみると本番に弱いから俳優に向いてないなと思って演劇は諦めることにしました。

そのあとは音響とかやったりして。デザイン科なので、大学4年生になると周りはインターンとか行き始めて「デザイン事務所どこ受ける?」みたいな会話が増えて…。自分は俳優になりたくて大学に入ったし、デザインに興味がなかったから、何をしようか考えた時に、趣味で写真は続けていたから、カメラマンについて調べて仕事にしてみようかなと思いました。

 

 

アシスタント時代について

ーそこから、鎌田拳太郎さんのスタジオで働かれていたんですか?

桑島:スタジオというか、個人に弟子入りするという感じですね。その前に物撮りのスタジオにいたりもしたんですけど、物撮りが性に合わなくて。

2000年代はヒップホップ系やストリート系の雑誌が人気な時期で、当時ヒップホップアーティストを撮影していた鎌田拳太郎さんの写真が面白いなと思って弟子入りをしました。

 

ー当時は写真表現についてどのような意識を持っていらっしゃいましたか。

桑島:写真で自己表現をしたいと思っていたけど、術を知らないというか。例えば写真集にするとか。ZINEていう言葉も知らなくて。ブック、ポートフォリオを作って“これが自分の作品”と思っていましたが、今振り返ると知識もなかったし、よくわからないまま作っていた感じですね。

 

ーそうなんですね。弟子入りしてから2年で独立って早いようにも感じますが。

桑島:どうなんですかね。鎌田拳太郎さんはついた時点で2年ということが決まっていたから、僕自身も自分のアシスタントに手伝ってもらうのは2年って決めてるんですよ。3年を過ぎるとお互いに飽きてきちゃうし、飽きるとマンネリ化しちゃうから。僕もアシスタントも、ある程度いい緊張感を持ってやれるのは2年かなって思っています。

 

 

独立後のカメラマン人生と現在

桑島智輝さん

ー独立後はどのようなお仕事をされていたんですか?

桑島:仕事なんかないですよ。1階から9階まで便器を運ぶバイトをしてました。(笑)日雇いの仕事をしてたら、あるとき知り合いから「ロケアシスタントの方がお金になるよ。」って言われて、フリーのロケアシをしてたら、そっちの仕事が忙しくなり始めた感じです。

 

ー独立からカメラマンの仕事をもらうまでに苦労されているんですね。

桑島:独立から1年半くらいはアシスタントをやってて、カメラマンとしての仕事はなかったですね。

 

ー これまでのキャリアの中で一番苦労した時期は?

桑島:いやぁ、今かな。苦労の質って一つ一つ違うから一番を聞かれると難しいですけど、年齢を重ねるほど、精神的にキツくなっていく感じはします。若い時は物理的にきつくても精神的な余裕はあって、でも年をとると、物質的に満たされてても、「後何年仕事できるんだろう」っていう精神的なプレッシャーが強くなります。だから、そこにどう打ち勝っていくのかっていうのだと思うんですけど…。

商業カメラマンって、20代、30代、40代…と年齢によって依頼される仕事って全然違うと思うんですよ。例えば、20代って取材の写真が多いけど雑誌の表紙がこなかったりするんですよね。20代後半で表紙の仕事がやっときはじめて、写真集の仕事とかが増えて。

年齢とか業界的な信用もあると思うんですよ。20代の時は雑誌の1ページのために呼ばれるとか、フットワーク軽く撮影できるけど、30代後半を過ぎてくると、今度はみんな気を遣ってそういう仕事が来なくなるんですよ。「流石にこういう仕事はやらないだろ」みたいな。こっちはやれるけど、そうなってくると仕事のやり方が変わってきますし。

でも、先輩方はずっとそれでやってきてるじゃないですか。一本の撮影の単価が高くても、依頼の数が減ってきたりするし。そういうのがあるから、そこでどう生き抜いて行けるかで。どの仕事にも当てはまるけど、いかに困難な状況を乗り越えていけるかが大事じゃないですか。

 

 

妻・安達祐実の被写体としてのおもしろさ

『我我』青幻舎

 

ー商業カメラマンの仕事をされている一方で、最近は写真展「distance」を開催されるなど、写真家としての活動もされていますよね。写真家として表現することも意識しているんですか?

桑島:元々、写真で表現したいという気持ちはありますよ。誰もがなんらかの形で自分を表現しているけど、自己顕示欲の大きさによって、どう表現するかは変わると思うんです。自分を表現したいって気持ちは“欲”だから。僕の場合は、妻との写真を世に出していくことが表現だと考えています。

 

ー桑島さんと安達祐実さんの出会いは「私生活」ですよね。多くの芸能人を撮影されている桑島さんが、安達祐実さんのどのようなところに惹かれたのでしょう。

桑島:俳優によってカメラを向けた時の表現の仕方は違いますが、自然な姿を撮る時でもポーズを決める人が多くて。でも、それって自分に自信がなかったり、照れ隠しのような感じに僕は思うんです。そういう人も結構いるけど、持論として優れた俳優はカメラの前で何もしない人が多くて。そこが面白いんですよね。

安達さんもそういうことをやらない人で。カメラの前で何もしないって超難しくないですか?
恥ずかしくてモジモジしたり、ポーズを撮ってみたり、何かしら伝わってくる動きがあるわけだから、そこでドーンって何もせず構えているのが面白いんですよ。

 

『我旅我行』青幻舎

 

ー写真集「我我」ではアルバム70冊から写真を厳選されていましたよね。現在は100冊を超えているのでは…?

桑島:158冊くらいありますね。

 

 

写真家としての表現は「無意識」から生まれる

『我我』青幻舎

 

ー写真集「私生活」や「我我」はモノクロとカラーのフィルム写真があったり、フィルムカメラとデジタルカメラを使い分けられている印象ですが、使い分けはどうしてますか。

桑島:デジタルは完全に仕事用ですね。その対局としてあるものがフィルムです。

 

ー今使われているカメラをお聞きしてもいいですか。

桑島:仕事で使っているのは、CANON EOS 5D Mark IV。サブ機でFUJIFILM X100v、RICOH GRⅡを使うこともありますね。フィルムはCONTAX AriaとT3、LeicaのR6を使ってます。

 

ー意識して分けてるんですか?

桑島:無意識ですね。自分でマニフェストみたいなのを作ると、表現の幅が狭まってしまうと思うから、イズムとかいらないんですよね。

 

ー人物撮影の印象が強いですが、桑島さんは風景やスナップも撮影されていますよね。いつ頃から撮影し始めたんですか。

桑島:仕事で撮る写真と、生活の上で撮っている写真って全く違って、生活の中で撮る写真は、人も風景も物も変わらないんですよね。だから、安達さんの写真を撮る時も、すべての写真に感情が動いているわけではなくて。もちろん動いて撮る時もありますが、昔ほどエモーショナルな瞬間に写真を撮ってるわけではないです。

 

ーそれほど桑島さんの生活の中に“写真を撮る”ことが自然に溶け込んでいるんですね。現在は写真集や展示会を通して多くの人に影響を与えている桑島さんですが、桑島さんが影響を受けた写真家はいますか?

桑島:高校生の時に影響を受けたのはHIROMIXさんとか長島有里枝さんですかね。大学生時代に新潮社の「月刊」シリーズっていうのがあったんですけど、そこで見た藤代冥砂さんの写真には影響を受けましたね。

 

 

 

商業カメラマンとして生き抜いていくために

桑島智輝さん

ー2004年に独立され、15年以上にわたりカメラマンとしてのキャリアを築いてきた桑島さんですが、時代によって商業カメラマンの世界も変わっていると感じますか。

桑島:今は仕事の撮影でもインスタみたいな写真が増えてて、被写体の表現もそこに寄っていっている気がしますね。アニメのような世界観とその中にいそうな人物、エモーショナルな写真が多くなっている感じがします。流行りなので仕方ありませんが、インスタの写真って消費が2秒とかじゃないですか。まぁそれはそれでいいんじゃないかって思っています。写真の独自性ってもっと違うところにあるはずだから。

 

ー誰でも簡単に写真を投稿できる時代だからこそ、プロのカメラマンはより独自性を求められるんですね。桑島さんがカメラマンとしてのモチベーションUPや新しいことを取り入れるためにされていることはありますか。

桑島:結局、写真のことって写真でしか解決できないから。写真のことで悩んで絵を見たとて、そこにヒントがあるわけではないし。映画とか音楽で変わるのって気分だけだから。変化していく部分っていうのは、自分の中にしかないから、写真を撮り続けるしかないですよね。ダメな時はどうすればいいかって、写真を撮り続けるしかないんですよね。

 

ーこの先、カメラマンとして生き残っていくためにはどのようなスキルが必要だとお考えですか。

桑島:生きることじゃない?カメラマンとしてどう生き抜いていくかって、その一言に尽きると思います。

写真って技術じゃないので、若い頃は自分のトーンを獲得したいとか、機材的なことがありましたが、今はあんまり関係なくて。どれだけ高価なカメラを使っても自分にとって使いにくかったら意味ないし、安いカメラでも自分にフィットしていたら、自分らしい表現ができると思います。

 

ー関西写真部SHAREの読者には桑島さんのような商業カメラマンに憧れている方も多くいます。そんな読者にメッセージをいただけますか?

桑島:写真の仕事はマジでやめた方がいいです。(笑)茨の道すぎるから。それしかないならやったほうがいいけど、趣味程度に抑えるほうが幸せかも。

ただ、写真を撮ってお金をもらえることって本当に幸福なことですね。錬金術みたいな気がしていて、写真を撮ってお金をもらえるって不思議なことだなって。魅力を挙げるなら、“写真を撮ってお金をもらえる幸せ”ですかね。中途半端な気持ちでやると痛い目見るから、両極端ですけどね。

 

ーまさかのお言葉で驚きました!ありがとうございました。

 

 

取材:小野友暉

撮影:塚本大士

 

我々

桑島 智輝 (著), 安達 祐実 (著)

桑島智輝と安達祐実、レンズを挟んだふたりの日々。2015年11月13日の結婚記念日から、2人にとって初めての子どもの誕生を挟んだ、約3年間にフォーカスを当てた写真集です。アルバム70冊分、18,500枚を超える量の中から、1年半という時間をかけ135枚に凝縮された写真を楽しめます。

 

 

 

 

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