まとめ
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スマホの普及により「写真を撮る」という行為は今となっては当たり前のことになりました。

現代では誰もが手軽に写真を楽しんでいますが、そこに至るまでのカメラの歴史は果たしてどのようなものだったのでしょうか?

この記事では、普段あまり気にとめない「カメラや写真がどうやって発展してきたか」ということを年表形式でまとめてみました。

身近な存在となったカメラや撮影が、どのような歴史をたどってきたのか知ることで、写真をより身近に感じてもらえたら嬉しいです。

 

カメラの最初の構想は?

カメラの構想は、ピンホール現象から始まっています。

私たちは普段、物体から発せられたり、物体に反射した光を景色や風景として認識しています。

このとき光は様々な方向へ進みますが、ある一点だけを通すようにすると、そこを通過できた光が上下逆さまの像を結びます。

ピンホール現象

ピンホール現象の仕組み

出典:Wikipedia

この現象はピンホール現象と呼ばれ、紀元前4世紀頃の哲学者・アリストテレスや紀元前5世紀頃の中国の思想家・墨子(ぼくし)の書物などに、この現象の記述があったとされています。

このピンホール現象は部屋にまるごと応用され、当時の画家たちはこれを利用して実際の光景そっくりの下絵を作るのに活用していたようです。

このピンホール現象を利用した部屋がカメラの始まりとも言える「カメラ・オブスキュラ(カメラ・オブスクラ)」です。

カメラ・オブスキュラとはラテン語で「暗い部屋」を意味し、写真機をカメラと呼ぶのはこのカメラ・オブスキュラがもととなっています。

これが進化して、徐々に小型化したものが現在のカメラの原型となっています。

カメラ・オブスキュラ

カメラ・オブスキュラ

出典:Wikipedia

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1826年 カメラ・オブスキュラによる風景の撮影に成功

そこから大きく時は流れ、19世紀になるとフランスのニセフォール・ニエプスが世界で初めて写真の撮影に成功します。

彼は「光の像を平面状の物質の上に映し、光によって物質に化学変化を起こさせ版を作る」という研究をしていました。

そして1826年に窓の外を写した風景の撮影に成功します。

この写真は「ル・グラの窓からの眺め」と呼ばれ、その露光時間は6時間とも20時間とも言われています。

ル・グラの窓からの眺め

ル・グラの窓からの眺め

出典:Wikipedia

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1839年 銀板写真による実用的な写真技術の完成

ニエプスが成功させた写真撮影は、露光時間が長すぎるため決して実用的ではありませんでした。

その後ニエプスは改良方法を求めて、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと協力し研究を進めていきます。

研究の途中である1833年にニエプスは脳卒中で急死してしまいますが、彼の研究はダゲールに引き継がれます。

その後ダゲールは研究を進め1839年に世界初の銀板写真法を世に発表しました。

この手法は「ダゲレオタイプ」と呼ばれ露光時間を10~20分、最終的には1~2分にまで抑えることに成功します。

この技術を利用したカメラは「ジルー・ダゲレオタイプ」と呼ばれ、世界で初めて販売されたカメラとなりました。

東京にある日本カメラ博物館ではこの貴重なカメラを展示しているので、気になる人はぜひ訪れてみてください。

ダゲレオタイプ

ダゲレオタイプで撮影したダゲールのアトリエ

出典:Wikipedia

1841年 ネガが開発される

1841年にイギリスのウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが「カロタイプ」と呼ばれる、紙を利用したネガからポジを得る写真法を発明しました。

この発明により写真の焼き増しが可能となります。

タルボットは1843年に写真工房を作り、この発明による複製能力を生かした写真集を出版しています。

1844~46年の間に出版されたこの世界最古の写真集「自然の鉛筆(Pencil of Nature )」は2016年に日本語版も出版されています。

気になった人はぜひこちらもチェックしてみてください。

自然の鉛筆

出典:Amazon

1848年 日本に写真が伝わる

日本に初めて写真機材が持ち込まれたのは1843年のことでした。

これは長崎に来たオランダ船が持ち込んだものでしたが、当時の日本人には撮影方法もわからず使われることはなかったようです。

その後の1848年、西洋の文明や技術について興味を持っていた島津斉彬(しまずなりあきら)が銀板写真機材を入手して研究を進めます。

銀板写真は薬剤の調製が難しく撮影が成功するまでには困難を極めましたが、1857年になってようやく撮影に成功します。

このとき使用されたのはダゲレオタイプの銀板写真で、自身がモデルになったその写真は、日本人によって初めて撮影に成功した写真となりました。

島津斉彬

島津斉彬公の銀板写真

出典:Wikipedia

日本最古の写真は?

1852年に黒船として有名なペリー艦隊が日本にやってきます。

この船には、写真家のエリファレット・ブラウン(Eliphalet M. Brown, Jr.)が加わっていました。

ブラウンはダゲレオタイプ(銀板写真)の技術によって人物や日本各地の風景を撮影し、そのうち人物写真が6点現存しているそうです。

これらが日本最古の写真といわれています。

1851年 湿板の発明

フレデリック・スコット・アーチャー

フレデリック・スコット・アーチャー

出典:Wikipedia

1851年、イギリス人のフレデリック・スコット・アーチャーがガラス板の上に「コロジオン」という液体と銀化合物を塗って感光材料にする方法を発明しました。

この方法は「湿板(しっぱん)」と呼ばれ、露光時間の長さを10~15秒ほどに大きく短縮させました。

タルボットのカロタイプはネガが紙だったので画像が鮮明ではないという欠点がありましたが、湿板ではネガにガラスを利用し画質もしっかりとしていました。

ネガによる複製も可能で、銀板写真のダゲレオタイプよりはるかに安価だったことからまたたく間に世に普及していきました。

1862年 日本に商業写真家が誕生

日本で初めて商業写真家として活動を始めたのは鵜飼玉川だといわれています。

横浜でアメリカ人のオリン・フリーマンに写真術を学び、江戸で写真館「影真堂」を開きました。

同じ時期に活動を始めた写真家には長崎で「上野撮影局」を開設した上野彦馬や、横浜を中心に活動した下岡蓮杖がいます。

当時の日本人は「写真を撮られると魂が抜ける」という迷信を信じており、写真館に来るのはほとんどが外国人だったようです。

しかし時代の流れとともに日本人客も増え、これらの写真館は繁盛していきました。

この時期に撮られた写真として有名なものには、坂本龍馬の肖像写真などがあります。

坂本龍馬

坂本龍馬の肖像写真

出典:Wikipedia

1871年 乾板の発明

乾板

出典:Wikipedia

1871年、イギリス人の医師であるリチャード・リーチ・マドックスが「乾板(かんぱん)」と呼ばれる方法を発明しました。

湿板とは異なり乾板は保存がきいたため、工場で大量生産が可能となります。

湿板より感度も高く露光時間も短縮できたので、手持ちでの撮影やシャッターシステムの発展にも繋がりました。

1889年 ロールフィルムの登場

ロールフィルム

出典:Wikipedia

乾板には多くのメリットがありましたが、ガラス製だったため重く割れやすいという欠点もありました。

1889年に、現在もよく知られているイーストマン・コダック社が「セルロイド」という物質を利用したロールフィルムを発売します。

このロールフィルムは乾板とは違い、取り扱いが容易で保存性にも優れ、かつ量産しやすいという多くの長所がありました。

ロールフィルムの登場は写真の普及の大きな原動力となり、映画文化の発展にも繋がりました。

1903年 日本の量産カメラ第1号が誕生

チェリー手提暗函

手前の黒いカメラがチェリー手提暗函(レプリカ)

出典:日本カメラ博物館

1903年、小西本店(現コニカミノルタ)から、「チェリー手提暗函(てさげあんばこ)」という乾板カメラが発売されました。

これは日本で最初にアマチュア向けに量産されたカメラで、当時としては手頃な値段で販売されたため、一般の人へカメラを普及させる大きな手助けとなりました。

1929年 近代二眼レフカメラの登場

ローライフレックス

ローライフレックスオリジナル

出典:Wikipedia

近代二眼レフカメラとして初めて発売されたのは、ドイツのフランケ&ハイデッケ(現ローライ)が1929年に発売した「ローライフレックスオリジナル」でした。

この二眼レフカメラは洗練された機能を持ち、時代とともに順調に改良が重ねられたこともあり、長きにわたって大きな支持を集めるロングセラー商品となりました。

戦後の日本製二眼レフブーム

戦後の1950年にリコーから発売された「リコーフレックスIII」は、値段が安価だったこともありプレミア価格で取引されるほどの人気だったようです。

この人気を発端として日本では二眼レフカメラの大ブームが巻き起こり、カメラの大衆化に多大な貢献をしたといわれています。

1948年 インスタントカメラ、ポラロイドカメラの誕生

ポラロイドカメラ

ポラロイドカメラ

出典:Wikipedia

これまでの写真は現像処理が必要だったため、撮ってすぐに写真を見るということはできませんでした。

この仕組を変えたのがアメリカ人のエドウィン・ハーバート・ランドです。

ランドは1948年に世界初のインスタントカメラ「ポラロイド・ランド・カメラ」を発売します。

撮った瞬間に写真が出てくるというこの画期的なシステムは発売当初から大人気になり、今でもポラロイドはインスタントカメラの代名詞として愛され続けています。

インスタントカメラ開発のきっかけとなったのは「どうして撮った写真をその場ですぐに見れないの?」というランドの娘の言葉だった、というエピソードもおもしろいですね。

 

一眼レフカメラの発展

ニコンF

ニコンF

出典:Wikipedia

日本では早い時期から一眼レフカメラの開発が進み、1952年に旭光学工業(現ペンタックス)から日本初の本格一眼レフカメラ「アサヒフレックスI」が発売されます。

1959年にはニコンから「ニコンF」が発売され、その性能の高さから非常に幅広い分野で使われました。

このカメラは特に報道の世界で活躍し、ニコンの評判を確かなものにしたといわれています。

一方、キヤノンも一眼レフカメラの開発を進め、1971年に発売された「キヤノンF-1」はグラフィックの分野で高く評価されました。

以降から現在に至るまで、2社はカメラ開発でしのぎを削り、その性能を高めあっていくことになります。

その後は、ビデオカメラで先に普及していたデジタル技術がカメラに応用されることで急速に技術革新が進みます。

自動露出やオートフォーカスなどの電子機能も搭載され、一眼レフカメラはさらに広く普及していくこととなります。

 

1986年 レンズ付きフィルムカメラの登場

写ルンです

写ルンです

出典:Wikipedia

一般的に「使い捨てカメラ」の名前で知られているのがこのレンズ付きフィルムカメラです。

レンズ付きフィルムカメラの存在を世に広めたのは、1986年に富士写真フイルム(現富士フイルム)が発売した「写ルンです」がきっかけでした。

カメラを持ち歩かなくても出先で買ってすぐに撮影できるこの商品は、自販機でも買えるその手軽さから大ヒット商品となりました。

最近でも簡単に手に入るため、そのコンパクトなフォルムやレトロな質感が、フィルム写真に馴染みのない若い世代を中心に人気になっていますね。

2002年 デジタルカメラがフィルムカメラを逆転

デジタルカメラ

デジタル技術が進歩したことによって、1999年頃からデジタルカメラの高画素化や小型化が急速に進みました。

そして2002年、長らく続いたフィルムカメラとデジタルカメラの出荷台数はとうとう逆転してしまいます。

その後は2008年をピークにデジタルカメラの市場はどんどん広がっていきますが、高機能なカメラを搭載したスマートフォンの普及により、カメラ市場自体は縮小していってしまいます。

カメラの現在とまとめ

現在では一眼レフもミラーレスに置き換わりつつあり、カメラの進歩は技術の発展とともにこの先もずっと続いていくことでしょう。

古いものだからといって忘れられているわけではなく、現代は「選択肢の多い時代」だといえます。

使い捨てカメラが今の時代も愛されているように、二眼レフやフィルムカメラ、湿板での撮影を楽しんでいる人もたくさんいます。

最新のものから昔のカメラまで、みなさんも様々な選択肢を楽しんでみてはいかがでしょうか?

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