Kim Dooha (キム ドゥハ)
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数多くの有名人の撮影を手がけ、2014年に発表した自身の作品「ポトンソニョ (普通少女) 」で話題となった韓国出身の写真家KIM DOOHA(金斗河/キム・ドゥハ)。

気になる女の子の秘密を覗いてしまったようなドキドキする感覚にさせられる彼の写真集は、現在日本のアート業界でも注目されています。

今回はキム・ドゥハさんのスタジオにお邪魔し、これまでの写真家人生や日本に来て感じた韓国と日本の写真文化の違いなどについてお伺いしました。キム・ドゥハさんの妻であり通訳の金 桂香さんにも同席していただき、出会いや妻から見たキム・ドゥハさんについて赤裸々に語っていただきました。

 

KIM DOOHA プロフィール
Kim Dooha (キム ドゥハ) Kim Dooha (キム・ドゥハ)
1980年韓国生まれ。写真家。2004年にソウルでフォトスタジオLOFT:Dを設立する。2014年に発表した作品集「ポトンソニョ(普通少女)」が若者の間で話題となり、2019年夏には日本版も出版。韓流スターのソン ジュンギやパク ボゴム、EXO、SHINeeなど数多くの芸能人の撮影を手がける。ポルム山美術館やキャノンギャラリー等での個展、ソウル平昌ビエンナーレ等の韓国を代表する写真展にも多数参加。2017年、日本に拠点を移し、新たな活動をスタートさせる。

 

叔母の死をきっかけに写真に興味を持ち始めた

Kim Dooha (キム ドゥハ)

ー最初に、カメラとの出会いについて教えていただけますか?

キム:きっかけは小学生のとき大好きな叔母が亡くなったことです。家族から知らされていなかった僕は叔母が亡くなったという事実を3年後に知りました。

そして、3年が経ちその事実を知ったとき、僕は叔母の顔を思い出すことができなかったんです。当時小学生だったし、なんとなくの記憶しかなくて。韓国では亡くなった人の服や物を全て燃やすので、会いたいのに会えない、思い出したいのに思い出せない、というときに「写真があったらよかったのに」と思ったんです。

そんな中、中学生になったときに仲のいい友人のお父さんが写真館をしていたので暗室に遊びに行って、突然写真をしたいなと思ったのがはじまりです。

"叔母が亡くなったときに撮っておけばよかった”というような具体的な感情ではなく、写真というものがあればすぐ顔が思い出せるなと考えたのが、写真に興味を持ち始めたきっかけです。

 

ー小さい頃の出来事をきっかけに写真に興味を持ち始めたんですね。そこから本格的にカメラの勉強を?

キム:高校の時に写真専門の大学に行くことを目標にしていたので本格的に勉強をはじめました。

映画が好きだったこともあり最初は映像を学んでいたんですけど、韓国では徴兵制があり2年間軍隊に行かないといけないので、その2年間でいろいろ考えた後に映像から写真の道に行くことにしました。軍隊に入る前はスタジオでアシスタントとして働いていたりもしていたので、自然とカメラを仕事にする道に進んでいましたね。

 

ーはじめてのカメラは何を使っていたんですか。

キム:高校1年生の時にNikonのエセラルカメラを父に買ってもらったのが、はじめての自分のカメラですね。それまでは写真館をしていた友人の父に借りたりしていました。

 

 

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‟今挑戦しなければならない” 写真家になる決意

Kim Dooha (キム ドゥハ)

ーなぜカメラを仕事にしようと思ったんですか?

キム:大学を卒業した後に約2年軍隊に入ったんですけど、その期間は家族にも会えないし、全てがない感覚に近い状態ですごく人生観が変わりました。

学生時代から写真を仕事にしたいと思ったんですけど、僕は田舎の方で育ったので、工場で働いたり公務員になることが韓国では普通の教育で、写真家は不安定な仕事なので両親には猛反対されていました。なので、除隊する前は写真の道を諦めつつあり、工場で働こうと考ていました。

しかし、除隊する何日か前にある本との出会いがあって、本に書かれていたある言葉に影響を受け「したいと思ったことは、今挑戦しなきゃダメなんだ」と思ったんです。

 

ーなるほど、1冊の本との出会いで決意が固まったんですね。

キム:今したいことは今しなきゃダメだという衝動に駆られ、‟50、60代になってもし自分が成功しているとしたら僕は何をしているだろう”っていうのを書き出してみたんです。そこで書き出したのは、スタジオを運営していて、たくさん作品の展示もして、仲のいい友達とパーティーをながら過ごして、犬も飼って…、そういうイメージをしていました。

なので工場で働くことを辞めて、実の姉にお願いし30万円借りて、「3ヵ月だけでも耐え抜こう、3ヵ月だけでもスタジオを維持させよう。自分が本当にしたいと思っているスタジオ運営の夢が3ヵ月だけでも叶うなら、一生工場で働いてもいい。」と一人ですごく小さなスタジオをはじめました。

 

3ヵ月の苦労を乗り越えアートの街へ

Kim Dooha (キム ドゥハ)

ー3ヵ月間いろいろな苦労があったかと思いますがどうでしたか?

キム:とりあえず3ヵ月は耐え抜こうというのが目標だったので他の人がしないような小さい仕事も受けていました。当時大学の先生の助手もしていたので、先生の繋がりで仕事をいただいたりとか、助手をして給料をいただいたりして何とか生活していました。

小さい仕事も受けているうちに徐々に撮影の依頼が増えて、3ヵ月が目標だったスタジオ運営を継続できるようになっていました。

6か月後には大きい仕事ももらえるようになったので、家賃3万円のスタジオでは狭いなと感じ、アートの街と言われている弘大(ホンデ)というところに新しいスタジオを作りました。

 

韓国で撮影した「ポトンソニョ」

韓国で話題となった「ポトンソニョ(普通少女)」(2014年)

 

ースタジオ経営を始める前は猛反対していたという両親の反応は変わりましたか?

キム:変わらなかったです。スタジオに来たのは始めてから10年後でしたよ。絶対辞めなさいというよりは放棄されていた感じで、応援もなかったので一人でした。

スタジオを作ったとはいえ、写真の仕事は良いときもあれば悪いときもあるので、悪いときに家族に頼ってしまったりして、余計に家族は納得できていなかったみたいです。

 

ーそのお話を聞くまでは、有名人を撮られていて活躍している写真家という印象が強かったので、そんなに苦労されていたなんて驚いています。

キム:芸能人を撮ったり広告の仕事をもらえるようになったのは、スタジオ経営をはじめてから10年くらいかかりましたね。

 

写真家と農業 2つの道、妻に背中を押されて…

Kim Dooha (キム ドゥハ)

ースタジオを続けていく中でキムさんの写真人生はどのように変化していきましたか?

キム:運営していたLOFT:Dというスタジオが有名になって、広州(クァンジュ)というところに駐車場の面積を入れて500坪くらいのスタジオを作りました。レンタルスタジオをしたり、広告の撮影をしたり、自分の作品を撮ったりしていました。

だけど自分の好きなことよりも仕事に追われるようになったことに疲れてしまって、写真家を休んで興味のあった農業を本格的にはじめるためにスタジオを売り払って済州島(チェジュ島)に移住しました。畑付きの一軒家を借りて、野菜を育てながら農業の勉強をしていた時期もありました。

2012年の代表作のひとつに「Crop`s (農作物)」というシリーズがあるんですけど、それは自分で育てた野菜を撮った作品なんです。

 

キムが育てた野菜を撮影した「農作物」(2012年発表)

ソウルで活動していた頃に自ら育てた野菜を撮影した「Crop`s (農作物)」(2012年)

 

ー農業をはじめたキムさんがまた写真の道に戻ろうと思ったのはなぜですか?2017年に韓国から日本に拠点をうつしたきっかけなども知りたいです。

キム結婚して妻が第一子を妊娠し、日本で子供を育てたいんだけど、大阪で住むのはどうですか?と言ったので2日くらい考えて大阪に住むことにしました。(笑)

:キムと出会ったのはちょうどチェジュ島に移る前の2015年でした。その頃はソウルでたくさん活動していたので私はキムの展示をよく見に行っててファンだったんです。

まさか数年後に結婚するとは思ってなかったんですけど、当時農夫になりたいとキムが言っていることに対して、素敵な作品を沢山発信しているのに勿体ないなとずっと思っていて

それから2年が経って、完全にキムは農夫の道を目指していたんですけど、私が「写真家を辞めるのは勿体ない。もっと写真家として活動してほしいです。」と伝えました。結婚してキムの写真家としての拠点を何処にするかという話になったときに、ダメ元で大阪を提案したのですが「僕はカメラさえあれば何処でも良いよ」とアッサリOKしてくれてビックリしました。(笑)

 

日本に来て感じた写真文化の違い

Kim Dooha (キム ドゥハ)

ー奥さんに背中を押されて、また写真家の道に戻ったんですね!日本で活動するようになってから韓国との写真文化の違いなど感じるようになりましたか?

キム:大きく違うなと思ったのは、韓国にはパリパリ(早く早く)文化というのがあって、韓国では行動も仕事も全部のスピードが早くて、時間がゆっくり流れるっていうのがないんですね。それは写真の世界でも一緒で、展示をするときも準備期間がとにかく短いです。ですが、日本では半年後や1年後に開催しましょうという感じなのでびっくりしました。

あと、韓国ではほとんどデジタルなのでフィルムをしている人って日本に比べると少ないんですけど、日本で写真展を見に行くとまだフィルムカメラで撮影したものが展示されているので、日本では職人の精神というか、フィルム文化が残っていて素晴らしいなと思いました。

 

ーそうなんですね!

キム:はい。韓国での写真家は自分の作品を売ってお金をもらって食べていく人達のことを言うんですね。

ですが、日本の写真文化に詳しい人に話を聞いたとき、日本の写真文化は独特で、昔から日本の写真家は自分の作品をつくってもそれを売ろうとはしないで仲間たちに見せることが多く、一般的に公開するとしてもホワイトキューブで展示することが多いと。決まったサイズや形で展示をするけど、展示品を売りはしなかったり、まだまだそういう人達は残っているよという風に聞きました。実際にかんばらさんもそう感じていますか?

 

ー確かに絵に比べるとカメラ・写真をやっていない人も見に行くという文化はあまりない気がしますね。写真作品を買ったり、売ったりする人も、少ないと思います。

キム:そうですよね。韓国では10年前に写真ブームが来てて、写真も絵と同じくらいの価値があります。

プリントをしていればオリジナルという認識で、絵よりも安く販売できたので売れやすく作品販売で生活できている作家もいました。日本に比べて家やカフェが広くて、広い空間に何もないというのに違和感があるので、ソウルでは一般の人も写真を買ってインテリアとして飾るという文化は進んでいると思います。

 

ー韓国の方が日常的に写真に触れる人が多いんですね。

キム:逆に羨ましいなと思う点もあって、日本は韓国に比べ写真集の数が多く丁寧に作られており、印刷の質が高くてびっくりしました。

韓国では展示作品を買う人は多いんですけど写真集を買う人は少ないので、日本では沢山写真集が販売されていていいなと思いました。

あと、大阪は写真ギャラリーが少ないですが、今でもあるところは何年も運営されていて歴史があるところが羨ましく思いました。韓国は家賃や物価の変動が激しくギャラリーは長く続けられなくてすぐに潰れてしまうので、日本はまだ長く続いているギャラリーが残っているのが素敵ですよね。

 

写真を大衆的で一般の人が楽しめるものに

Kim Dooha (キム ドゥハ)

ー日本に来てから大変だったことはありますか?

キム:日本では認知されていないこともあり最初の1年は仕事がなくていつも妻と悩んでいました。日本には写真家の友達もいなくて、人脈もなかったので苦労しましたが、やっぱり写真を仕事にしていくためにはどんどん作品を展示していろいろな人に見てもらわなきゃいけないと思いました。

一度お金を払ってギャラリーを借りるとなると、その後もずっと借り続けなければならなくなるので、まずカフェで展示しようってなったんです。

スぺクタル北浜というおしゃれなカフェがあって、3階に展示できそうなスペースがあったので片言の日本語で店員さんに「ここで展示したいです」ってお願いしたんです。

4回くらいお願いしたんですけど中々承諾してもらえなくて…。やっとオーナーさんに会えたというときに作品を見せたらポトンソニョを気に入ってくれて、3階でするつもりだったんですけど、「地下1階から3階まで全部使っていいよ」って言ってくれて、日本で始めての展示を実現しました。

 

ー大阪でまた写真家としてゼロからのスタートだったんですね。

キム:最初のポトンソニョの展示をしたときにDMをいろいろなギャラリーに置いてもらっていて、DMをきっかけに知ってくれたギャラリーのオーナーから声がかかるようになりました。

カフェでの展示をきっかけに出会いが増えて、一歩踏み出したら展示の機会もいただけて次々に縁ができていった感じですね。

 

日本での展示会の様子

●日本での展示会の様子

 

ー展示をきっかけに沢山の出会いが増えて、より日本と韓国で違うなと思うことも増えたんじゃないでしょうか。

キム:日本に来てから韓国に比べて写真の文化が狭いと感じました。

写真をされている方の中には「ホワイトキューブで額に入れられた写真を展示するのが基本だよ」という方もいたんですけど、僕は大衆的で一般の人が楽しめるものにしたいとずっと思っていたので、日本に来てからよく通っているカフェや立ち飲み屋、ワインバー、サンドイッチ屋さん、コーヒースタンドなど一般の人が見やすい場所で積極的に展示させていただきました。

ギャラリーだと敷居が高くなり写真をしている人しか見に来てくれないので、もっと一般の人に写真の魅力を知っていただきたいと思っています。

「日本ではこうだよ」と何度か言われてきたので、そういった場所ですることをマイナスに捉える人もいるかもしれないんですけど、まずは自分の作品をより多くの人に見てほしいと思ったのが一番ですね。

 

 

展示をすることで自然とモチベーションが上がる

Kim Dooha (キム ドゥハ)

ー10年以上写真家として活動されていますが、これまで続けてこれたキムさんのモチベーションは何ですか?

キム:カメラを始めたときから写真家はずっとしたい仕事だと思っていたんですけど、自分の理想と現実が一致するとは考えてなくて。だから、ずっと写真を仕事にしてこれたのは夢にも思ってなかったです。

写真を撮らない期間があったとしても、他の写真家の展示や写真集を見てインプットするとまた撮りたくなったりとか、それが自然とモチベーションになっているのかなと思います。

あと、展示すること自体好きなんですよね。作品のコンセプトを考えるところから、展示方法を考えたり、一枚一枚自分でプリントをしたり、展示に関わるすべてのことが楽しいんです。展示をすることによって新しい出会いがあったり、久しぶりに友人が来てくれて再会したりと広がっていくので、そこで「また作品を作ろう」ってモチベーションが上がりますね。

:キムは仕事も趣味も生活も全部写真なんですよね。趣味はプリントをすること、展示・写真集を見ること、機械を触ること、照明をいじること、息子にカメラを教えること、とか全部カメラに繋がるんですよ。だから毎日隣にいる私には、生活そのものがモチベーションになっているように思えます。

 

ーキムさんは撮るだけでなく形にすることも好きなんだなと凄く感じました。

キム:展示もそうですけど、撮った写真のプリントも絶対してほしいですね。データで残すだけではダメで、プリントをすることでモニターでは見えないものを発見できて反省点とかが分かるんですよね。

スタジオにプリントをしに来る人にも、プリントをすれば必ず次の写真は良くなると力説しています。

 

 

現代美術としての写真を追求したい

Kim Dooha (キム ドゥハ)

ー写真家として数多くの経験をし、実績を残しているキムさんですが、今後のビジョンはありますか?

キム:東京のアートフェアに参加したことはあるんですけど、まだ個展をしたことがないので、大阪だけでなく活動の幅を広げていろいろな場所で展示したいと思っています。

美術館に飾れるような、現代美術としての写真を追求していきたいですし、日本の写真業界がそういうふうになってほしいなと願っています。

 

ーありがとうございました。

 

 

 

【KIM DOOHA 写真集販売店】

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現在、キム・ドゥハさんがCAMPFIREにて20代最後の29歳女性のポートレイトを撮影するプロジェクト「Play 29’s 20代最後のポートレイト撮影&ZINE制作」のクラウドファンディングを実施しています。ぜひチェックしてみてください。

 

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