
世界には数多くの写真家がいて、個人で活動している人もいれば何かしらのコミュニティに属している人もいます。
この「関西写真部SHARE」もそのコミュニティのひとつですし、日本写真協会や東京カメラ部なども有名ですね。
世界中の色んな国ごとにこれらのコミュニティは存在しますが、その中でも世界最高の写真家集団として知られているのが「マグナム・フォト」です。
この記事ではマグナム・フォトを創設したメンバーや、彼らの作品についてご紹介します。
マグナム・フォトとは
「マグナム・フォト」は写真家の権利と自由を守ることを目的として、1947年にフランス・パリで設立されました。
長い歴史の中で在籍したメンバーはわずか100人ほどで、全員が世界規模で活躍しています。
報道写真家たちが立ち上げたマグナム・フォトですが、現在の活動はドキュメンタリー・動植物・自然風景・広告・ファッション・アートなど多岐にわたり、それぞれを独自の視点で撮影しています。
メンバーの作品は写真史に残る名作として世界中の美術館・ギャラリーに収められており、今では「世界最高の写真家集団」としてその名を世界中に轟かせています。
マグナム・フォトの創設メンバー
そんなマグナム・フォトですが始まりは以下の4人のメンバーからでした。
・戦場カメラマン、報道写真家として活動していたロバート・キャパ
・主にスナップ写真を撮影していたアンリ・カルティエ=ブレッソン
・フリーランスのカメラマンとして各地の戦線を撮影していたジョージ・ロジャー
・戦時下で虐げられた一般の人々を撮影していたデビッド・シーモア
それぞれ詳しく見ていきましょう。
ロバート・キャパ Robert Capa
出典:Wikipedia
1913年10月22日 – 1954年5月25日
ロバート・キャパはハンガリー生まれの写真家で、本名はフリードマン・エンドレといいます。
「ロバート・キャパ」の名は、彼の公私にわたるパートナーであった「ゲルダ・タロー(本名:ゲルタ・ポホリレ)」との共同名義として使われていました。
彼らは撮影した写真を架空の裕福なアメリカ人写真家「ロバート・キャパ」の作品として売ることにしていました。
これには当時の政治的背景(フリードマンはユダヤ人として典型的な名)が絡んでいて、アメリカ市場で良い収入を得るためのひとつの手段だったようです。
この策は長くは続かなかったようですが、その後もアンドレは自分の名前として「ロバート・キャパ」を使い続けます。
ゲルダは仕事用の名前として、アンドレと親交のあった岡本太郎にちなんだ「タロー」を名乗るようになったそうです。
彼は20世紀を代表する報道写真家で、戦場カメラマンでもありました。
スペイン内戦中に撮影した「崩れ落ちる兵士(Falling Soldier)」で世界的に有名な写真家として評価を受けます。
「Falling Soldier」Spain,1936
日中戦争やノルマンディー上陸作戦も取材しており、米雑誌「LIFE」の特派員としてヨーロッパ戦線の重要な場面を記録しています。
そして1947年に報道写真家の権利保護を目的にマグナム・フォトを設立します。
1954年、撮影で訪れたインドシナにて地雷を踏み死去しました。
作品
「Watching a Fascist air raid over the city」Spain,1939
「Little girl resting during the evacuation of the city」Spain,1939
「Normandy Invasion」France,1944
写真集
「Robert Capa: Death in the Making」
アンリ・カルティエ=ブレッソン Henri Cartier-Bresson
出典:Wikipedia
1908年8月22日 – 2004年8月3日
アンリ・カルティエ=ブレッソンはフランスの写真家です。
若い頃は画家を志望していましたが、シュルレアリストの写真家「マン・レイ」に影響を受けて本格的に写真に取り組んでいきます。
彼は主にスナップを基本とする撮影スタイルで活躍し、画家としての素養に裏付けされた美しい構図の写真を数多く残しています。
そして1947年にロバート・キャパらとともにマグナム・フォトを設立します。
1952年に発表された写真集「決定的瞬間」がもっとも有名な一冊で、これは世界中の写真家たちに大きな影響を与えました。
この写真集には、彼が1932年から1952年までに世界各地に赴いて撮りためたドキュメンタリー写真が収録されています。
作品
「The Var department」 France,1932
「Brussels」Belgium,1932
「Island of Siphnos」Greece,1961
写真集
ジョージ・ロジャー George Rodger
1908年3月19日 – 1995年7月24日
ジョージ・ロジャーはイギリス出身の写真家で、19歳で商船隊の船員となって世界中を航海しました。
もともと写真家として活動していたわけではなく、航海中の記録をつけるために写真を撮るようになったそうです。
その後BBCのカメラマンを経てフリーランスの写真家となり、第二次世界大戦中には米雑誌「LIFE」の特派員としてアフリカ、中近東、アジア、ヨーロッパなど各地の戦線を取材します。
彼は1945年にドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所を取材していますが、その際に撮影されたおびただしい数の死体の山々や骨と皮ばかりにやせ細った生存者の写真は世間に大きな衝撃を与えました。
この収容所は「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクがなくなった場所としても有名です。
本人はその経験がトラウマとなり、以降は戦争特派員として働くのを辞めたようです。
1947年にロバート・キャパやアンリ・カルティエ=ブレッソンらと共にマグナム・フォトの設立に携わります。
1948年からはアフリカをテーマにし、ヌバ族やマサイ族などと生活を共にしながら取材をしました。
作品
「Steel helmets were worn by all who could get them」England,1940
「The Nuba」Sudan,1949
「Young Basuto boy wrapped in blankets against the cold on the Thaba Bosiu」South Africa,1947
写真集
デビッド・シーモア David Seymour
1911年11月20日 – 1956年11月10日
デビッド・シーモアは、アメリカ合衆国の写真家で、シム (Chim)というニックネームで知られています。
出身はポーランドのワルシャワで、本名はダヴィト・シミンといいます。
ワルシャワの美術学校で学び、在学中に写真に目覚めました。
1936年から38年まで、スペイン内戦をはじめチェコスロヴァキアなどヨーロッパ各地へ取材に行きました。
その後ニューヨークへ移住し、戦争中は写真家としてアメリカ軍に従軍します。
彼の写真は戦時下で虐げられた一般の人々、特に子供たちに焦点を当てていることで有名です。
1947年にマグナム・フォトの設立に携わり、1949年から55年にかけてヨーロッパ各国やイスラエルを精力的に取材し多くの作品を残しています。
1954年にロバート・キャパが亡くなった後は、マグナム・フォトの会長も務めています。
第二次中東戦争中の1956年、スエズ運河付近を取材中にエジプト軍の銃弾に倒れて44歳の若さでこの世を去りました。
作品
「A girl who was raped during the war」Italy,1948
「Workers at the Vatican City canteen」Rome,1949
「A woman in the ruins of Port Said after its destruction by Israeli bombing」Egypt,1956
写真集
「Chim: The Photographs of David Seymour」
まとめ
いかがだったでしょうか?世界最高峰の写真家集団「マグナム・フォト」についてご紹介しました。
過去には東京にもオフィスを構えており、現在では日本人の写真家・久保田博二氏も在籍しています。
メンバーには多くの偉大な写真家たちがいるので気になった人はぜひとも調べてみてください。